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洲本市(すもとし)は、淡路島の中部西から南東に貫き、淡路市、南あわじ市と接する市である。
2006年2月11日に洲本市(人口38,926人)と津名郡五色町(人口11,100人)との新設合併により“新”洲本市(人口50,026人、18,684世帯)が誕生した。
地理
瀬戸内海の東域に浮かぶ淡路島の中央部に位置し、大阪湾、紀淡海峡、紀伊水道、播磨灘に面し、神戸・大阪まで約60-70kmの距離にある。また、瀬戸内海型気候に属し、温暖で暮らしやすい気候である。
市域の中心部を洲本川が大阪湾に流れ込み、下流域には城下町を基盤とする中心市街地が形成されている。大浜公園、三熊山、成ヶ島(淡路橋立)などは瀬戸内海国立公園の指定地域であり、景勝地の宝庫でもある。
隣接している自治体 |
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歴史
- 永正年間(1500年ごろ) 紀州熊野水軍の安宅(あたぎ)氏が洲本城を築城し始める。
- 1581年(天正9年) 羽柴秀吉の淡路追討により安宅氏滅亡。
- 1582年(天正10年) 仙石秀久が居城し洲本城を修築。
- 1585年(天正13年) 仙石秀久が高松城主になり、脇坂安治が洲本城に居城し、洲本城の本格的な修築を開始。
- 1610年(慶長15年) 池田輝政の三男忠雄が淡路国の領主となり、洲本城は廃城、由良成山城に居城する。
- 1615年(慶長20年) 池田忠雄が岡山に移り、淡路国が徳島藩主蜂須賀氏の領地となる。家老の稲田氏一族が由良城代として居城する。
- 1631年(寛永8年) - 1635年(寛永12年) 由良の地が狭く城下の経営も出来ないことを理由に城下町ごと洲本城に移転する(いわゆる「由良引け」)。以後洲本が淡路の中心となる。
- 1870年(明治3年)5月13日 庚午事変(稲田騒動)により、稲田邦植以下家臣全員に北海道静内郡と色丹島への開拓移住を命じられる。
- 1871年(明治4年)5月 津名郡43ヶ村浦は徳島藩から兵庫県に移管。
- 1871年(明治4年)7月14日 廃藩置県
- 1871年(明治4年)11月15日 淡路全島が名東県に編入される。
- 1871年(明治4年)11月20日 太政官布告により津名郡が兵庫県に編入される。
- 1876年(明治9年)8月21日 淡路全島が兵庫県に編入。
- 1889年(明治22年)4月1日 市町村制施行により津名郡洲本町となる。
- 1902年(明治35年) - 1904年(明治37年) 付替工事により洲本川が現在の位置となる。
- 1909年(明治42年)1月1日 物部村、潮村と合併する。
- 1916年(大正5年)6月1日 千草村のうち小路谷地区を境界変更により編入する。
- 1918年(大正7年)4月1日 千草村を編入する。
- 1933年(昭和8年)4月1日 加茂村、大野村を編入する。
- 1940年(昭和15年)2月11日 市制施行(兵庫県では6番目)
- 1947年(昭和22年)1月20日 上灘村を編入する。
- 1955年(昭和30年)3月31日 中川原村、安乎村、由良町を編入する。
- 1957年(昭和32年)7月5日 三原郡広田村の納、鮎屋地区を境界変更により編入する。
- 2003年(平成15年)構造改革特別区域として「ITベンチャー育成特区」に認定される。
- 2005年(平成17年)法改正に伴い、「ITベンチャー育成特区」が解消される。
- 2006年(平成18年)2月11日 津名郡五色町と新設合併し、新たに洲本市が発足。
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