留萌市(るもいし)は、北海道留萌支庁の市であり、支庁所在地。留萌管内の中心都市である。昔ほどではないが今でもニシンが水揚げされ、国内最大の輸入港の留萌港を擁する。現在はニシンの魚卵であるカズノコの国内最大の加工地。
市名の由来はアイヌ語「ルルモッペ」(潮が奥深く入る川)から。
主な産業は貿易などのその他商業、土木業、水産加工業である。
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経済
2000年の国勢調査による従事者数の割合は公務員を含む第三次産業だけで全従事者数の7割以上を占め圧倒的に高く、第二次産業が3割。第1次産業は3%余りを占めるに過ぎない。
細目ではサービス業26.28%、卸売・小売・飲食店20.28%、建設業16.42%、製造業12.04%、その他(分類不能)公務員
11.78%、運輸・通信業6.23%、金融・保険業2.50%、農業1.76%、漁業1.18%、電気・ガス・熱供給業0.61%、林業0.55%、工業0.16%の順となっている。 |
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うち公務員について「その他公務員」11.78%に各産業別公務員(市立文化センター職員は「サービス業」に分類など)の合計10.55%を含めると全体の22.3%を占めている。
沿革
江戸時代まではアイヌと日本人が混在、明治期にニシン漁の北上に伴い漁村として日本人の村が市内に点在。
大正期に入り、各地に炭鉱(大和田炭鉱、豊平炭鉱、浅野炭鉱、達布炭鉱)が発見され隆盛を極める。昭和22年頃には留萌本線、羽幌線、天塩炭砿鉄道、達布森林鉄道など多くの鉄道路線が建設された。
1960年代までの人口は4万人以上であったが、ニシン漁の衰退や炭鉱の相次ぐ閉山により減少に転じた。現在では
公務員とその関係者が市民の半数以上を占め、企業の支店関係者を含めると8割を超す。支店経済の「斜陽の都市」である。
- 1867年 ルルモッペ場所が函館奉行直轄となる。
- 1869年 ルルモッペを留萌(るもえ)と命名する、山口藩支配となる。
- 1877年 戸長役場を元町(川北)に建造する。(留萌市の開基)
- 1902年 留萌郡礼受村(れうけ)を編入、二級町村制施行、留萌郡留萌村
- 1907年 留萌郡三泊村(さんどまり)を編入、一級村制施行
- 1908年 町制施行
- 1910年 留萌-深川間に鉄道開通。
- 1914年 増毛支庁を現在の留萌市に移し、留萌支庁と改称する。
- 1921年 留萌-増毛間に鉄道開通。
- 1945年
留萌沖で樺太引き揚げ船三隻が撃沈される。停戦後、スターリンがトルーマンに「留萌と釧路を結ぶ線以北にソビエト軍を進駐させる」という提案をしたが、トルーマンは拒否した。
- 1947年10月1日、市制施行
- 1971年 留萌高等学校、夏の甲子園出場(0-1 県立岐阜商業高校)
- 1977年 開基100年
- 1997年 開基120年
- 2004年
コミュニティFM放送局「エフエムもえる(76.9mhz)」開局。増毛町・小平町と法定の「留萌南部三市町合併協議会」を設置。
- 2005年 1月12日合併協議会の解散が決まる。
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